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秋那の家に行くことに、異存はなかった。彼女がこっちに越してきて以来、住んでいるマンションのことは話の中でしか情報として入って来なかったし、俺自身、恐らく無意識的に秋那の家のことは考えないようにしていたのだと思う。家だけじゃない。その日の香水や、携帯のストラップ、髪を切った時だって、軽く触れることはあったにしろ、今思い返せば俺は深く追求したことは一度だってなかった。
過去を思い返すようなことは、したくなかった。何も直接的な話題でなくたって、話す時の空気が、秋那の上機嫌な高い声が、彼女に関する諸々の情報が、抑え込んでいた想いを爆発させる起爆剤になりそうで、怖かったのだ。
まあ、結果としては俺の気持ちははち切れてしまい、今に至るというわけなのだが……。
駅前にある高層マンションの二十二階に、秋那と秋那の母親の二人で住んでいるらしい。親父さんは赴任先からまだしばらく帰ってこれないらしいが、二人の為に分譲マンションを購入したということは、そう遠くない先に家族がここに揃うのだろう。
乗り慣れないエレベーターに運ばれて、町を見下ろせるほど高い場所に吐き出される。
「凄いでしょ? 私も初めて見た時感動したよ」
初めて見る町の景色を鳥のように見渡している俺を横目に、得意気に言う。そして、一転してどこ悟ったような表情を見せて続けた。
「私ね、レイと私のこと引き離したお父さんが嫌いだったの。でも、こっちに戻って、この町をずっと向こうまで見渡した時……素直にお父さんに感謝した。レイには誤解してほしくないんだけど、本当に思ったの。この景色がこれからずっと見られるんなら、三年間チャラにしてもいいなっ、て」
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