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何も。
何も見えない。
さっきまで私は、あの人と一緒に、研究室にいたはずだ。
あの人と作り上げた、この薬の完成を、喜び合っていたはずなのに。
「ドクター?」
掠れた声で呼びかけるけれど、あの人の声は聞こえない。
「ドクター?どこにいるの?」
動き辛い体を無理矢理に動かして、周りを見回す。
何故、自分の着ていた白衣がこんなにもボロボロなのか。
そんなことはどうでもよかった。
ただ、傍にいるはずのあの人がいない。
それの方が、怖くてたまらなかった。
「ドクター!!」
自分の声だけが、部屋の中に響く。
何も。
何も聞こえない。
聞こえるはずの機械の音も。
他に一緒にいた研究員の声も。
何も聞こえない。
「誰も、いない、の?」
部屋から出ようと、軋む身体を引きずるように前へと進む。
コツン……
暗闇の中、歩みを進めた足に何かが当たった。
思わず転びそうになりながらも、それでもどうにか体勢を立て直す。
何に足をとられたのか。
気になって、目を凝らす。
暗すぎる部屋のせいで、何に足が当たったのか、立ったままでは見えない。
身体が軋むのを無理矢理に動かし、屈みこむ。
「え……?」
頭が、真っ白になった。
目の前のそれが、一体なんなのか。
理解することが出来なかった。
白かったその布は、赤に染まっていた。
小麦色だったそれは、どす黒く変色していた。
辺り一面に広がるのは、元は赤かっただろう液体のこびりついた跡。
ナニ?
コレハ、ナニ?
そっと、それに手を添える。
記憶が間違っていなければ、それは温かかったはずだ。
なのに、どうしてだろう。
それは、氷のように冷たかった。
「ど……」
言葉が出てこない。
まるで、何かに喉を押さえつけられているかのように。
目に見えているその状況を、頭が受け入れない。
自分と同じ、白い白衣。
科学者のわりに、焼けた肌。
少し癖の強い髪。
自分をからかう、悪戯っぽい瞳。
研究中に見せる、真剣な眼差し。
大きく、温かかった掌。
全て。
知っているものだったのに。
それが、全く形を変えて目の前にある。
長い沈黙の後。
誰もいない研究室の中で、大きな悲鳴が上がった。
西暦3120年12月31日。
その日、世界から半数近くの人間が命を無くした。
共通するのは、その全てが『男』だったということ。
後に、『ラストディ』と呼ばれた、この日。
全ての歯車が狂い。
そして、新たな歯車が動き始めた。
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