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この日のアルバム録音の作業終わりは日付が変わる直前。
10時間以上窓の無い部屋に閉じこもっていたにも関わらず。
録音風景を撮ったり、手伝いをしてみたり、コーラスの真似事をしてみたりと、新しいことに沢山触れられたから。
サトリは『疲れ切った』という印象はなくて。寧ろ心地いい疲労感に満足していた。
「今日は有難うございました」
凄く貴重な体験させてもらいました。とサトリが最敬礼で頭を下げて礼を述べたら。
あれだけ始め渋っていたスタッフは、1日ですっかりサトリが気に入ったようで。
「今日だけなんて言わずに小野さん、その気になったら何時でも連絡下さいね」
追い駆けるように外まで見送りに出てくるから。
俺だって此処までしてもらった事ねえだろ、とルンも苦笑いする。
「コイツも本業があるから。あんまり無理言わないでくれよ?」
「そうそう。肝心の今日の写真。現像したら送ってくださいね?」
プロモーション素材とか、CDのブックレットに使いたい、という申し出に。
「小野サンが星と風景以外の写真の仕事していい、って思うなら乗っておけば?」
とルンも後押ししたから。
「有難うございます!」
望まれてさせてもらえる仕事など、そうはない。
願っても無い申し出に、サトリはまた勢い良く御辞儀をした。
サトリを家に送る車の中。
「今日はアリガトな、コノイトさん。何かまた世界が、広がった」
まだ『コノイトさん』なんだな。と、まだ少し他人行儀な呼び方に、心が少し色を失う。
「――大袈裟だな」
「大袈裟じゃねえよ。この3ヶ月でもう、皆から俺ってどんだけ井の中の蛙だったのかって思い知らされるばっかりだ」
御前等みんな。大海原でそれぞれの縄張りを悠々泳ぐ、鯨だろ?
蛙の俺なんか海に入ったらすぐ死んじゃう。
「アハハ。鯨か…」
自分のほうが余程、井戸の底から丸い青空を見上げて大海に恋焦がれる蛙だ、と、ルンは思う。
時間があるなら、今夜も話がしたいと思って、
「なあ、小野サン。これから…」
と切り出したら。
助手席のシートで。
携帯のバイブレーションが低く唸った。
「ちょっと待って?」
「ああ」
携帯の履歴を確かめたサトリは。
「――あれ?ニノから夕方に、メール入ってた!」
もう7時間も前だよ!と焦るサトリ。
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