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住人の居なくなったアパートの一室。
引越業者の営業マンである坂井は、もう間もなく築三十年を迎えようかというボロアパートの一室にいた。
たいした家財道具もなく、衣服や日常用品はすべてダンボール箱に収められ重ねられている。その数も両手で事足りた。
四畳半のワンルームで場所を取っているのは、小綺麗な勉強机と本棚だけである。
その本棚には、ダンボールに収まりきらなかったのであろう教科書が数冊埃を被っていた。
「わざわざお呼び出しして申し訳ない」
人の良さそうな笑顔を振りまいて、小柄な老人が現れる。
その手には空箱と小さな鞄を抱えていた。
このアパートの大家である。
「いえいえ、私の方こそこれが仕事ですから……。うかがっていた荷物というのはこちらですか?」
「思ってたより少ないでしょ。住んでおられたのは若い学生さんでしてね……。いや、実に良い好青年でしたよ」
大家は悲しげな表情で机を見つめたが、その顔には青年を不憫に思う感情が含まれていたかも知れない。
「さっそくで申し訳ありませんが、詳しい内容の確認をお願いしたいのですが」
「そうでしたね。そうしましょう」
大家は抱えていた空箱を壁に立てかけ鞄から書類を取り出す。
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