菜月

5/11
前へ
/11ページ
次へ
「菜月はまだ二十八だ。好きなことがたくさんできる。」 「ええ。和幸さんとね。」 あたしは柔らかく微笑んだ。 和幸さんは独り身だった。 菜月との結婚を考えなかった訳ではない。 しかし。 周囲の反対は激しかったそうだ。 当たり前か。 もともと結婚を望んだのは和幸さんの方だった。 ‘菜月’は口にしたことさえなかった。 「ここは、色んなことを思い出すね。」 「ちょっと疲れちゃったのね。」 「菜月。」 こっちへおいでと、和幸さんは両手を広げる。 あたしは甘えるように彼の腕にとびこんだ。 彼はもうすぐ死ぬ。 死臭というのが死ぬ前の人間から臭うというのはきっと嘘だ。 彼からは清潔な石鹸と愛用のコロンがほのかに香った。
/11ページ

最初のコメントを投稿しよう!

6人が本棚に入れています
本棚に追加