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106 名前:祐希 ◆fyiPNhmVqk :2010/05 /19(水) 15:12:24.28 ID:60HAO/620
何でここまで殺しあうんだ?って思うかもしれない。これはWW1以前の因縁もあるけれど、
やはりWW1後に誕生したユーゴスラビア王国による政策に問題があったと思う。
建国当初からさ、スルツキによって国は占められていてさ、民族意識の強いフルヴァツキの
反発が絶えなかったんだ。
そこにウスタシャがつけこんで、反セルビア、打倒セルビアへと支持を拡大しながら突き進んでいったんだ。
これは、ユーゴ崩壊につながるフルヴァツカ紛争(クロアチア紛争)やボスニアの紛争にも繋がっていくんだ。
一方で、チェトニクは大セルビア主義という、西部バルカンの大半はセルビア人の土地っていう認識を
持って痛んだ。
108 名前:祐希 ◆fyiPNhmVqk :2010/05 /19(水) 15:13:42.75 ID:60HAO/620
この主義は、セルビア人とセルビア人の土地をひとつの国家に統一するという第一の目標があり、
中にはセルビア人が少数であっても、セルビアの土地という認識があるものもあった。
セルビア国家にとって、大セルビアは必要不可欠であり、セルビアの歴史的格言「統合のみがセルビア人を救う」
との事で、正当性・必要性を訴えていた。第一次世界大戦ではこの主義が原因となり、国境外各方面で
セルビア人たちが統一セルビアの建設の為に戦い、1990年代の紛争では統一されたセルビア維持のために戦った。
また、ユーゴスラビアはWW2以降もセルビア人以外を軽視しており、それが各民族を刺激してしまった。
109 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05 /19(水) 15:15:02.99 ID:YzltUJCP0
そんなことがあったのか・・・
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