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視界に捉える信号が赤に変わり、男は車のブレーキを踏んだ。止まる直前でふっとゆるめる。少しすると目の前の横断歩道を、犬を連れた老婆や自転車に乗った女性が渡っていく。ウインカーを点けた車がこちらに曲がろうとしてくるのが見えた。
その時、助手席に座る幸助の携帯電話が鳴った。カーラジオのボリュームを下げてから通話ボタンを押す。
「もしもし……ああ、お疲れ様。今そっちに向かってるからちょっと……欽二、大体あと……十分くらいで着くから……うん、じゃあ」
通話を切ると、再びラジオの音量を上げようと手を伸ばす。
「今の電話、菜摘か?」
その手は、運転席に座る大柄な男・欽二の声によって止められた。
「いいや、美奈だった。それがどうかしたか?」
「大したことじゃないんだが……」
信号が青に変わる。欽二はアクセルを踏み込み、幸助はラジオから手を離した。
「幸助、お前、美奈のことどう思う?」
「何だよ藪から棒に」
「いいから。お前は美奈をどう見てる?」
「素直でいい娘だと思うよ。なんというか、放っておけないって言うのかな、気に掛けてやらなきゃならない大事な仲間だと思ってるよ。ただ、俺らに対して心を開ききってない感じがするのがちょっと引っかかるけどな……」
交差点に差し掛かり、ウインカーを出して左に曲がる。
「最後のは俺も同感だ。美奈は多分、『本当の自分』を出したがらないんだろう。理由は分からないが……まあまともに会話をするようになってから半年ちょっとしか経ってないから、心を全て開けないのが分からなくもないな。でも、元々俺たち三人で始めたサークルなんだ、隠し事は……いや、こういうのは良くないな」
「それが賢明だ。俺らにだって、美奈や菜摘に話せない秘密の一つや二つあるんだ。時期が来たら、話しても問題ないって思えるようになったら、話してもいいんじゃないか。今はそのタイミングじゃない。ただそれだけだろ」
その慎重さはまた同時に、話してしまうことに対する臆病さの裏返しでもあった。仲良くなればなるほど、いつかは話さなければならないという心理に脅迫される。そしてできる限りは胸の中にしまっておきたいし、そうそう気軽に話せるものでもない。こうしたジレンマは常々彼らを苛んでいるのだ。
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