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茜色の陽が大きな窓いっぱいに入り込む。
想い出のこの窓辺で、私は彼にお願いをする。
精一杯の勇気を振り絞って。
「一度でいいのです。私の名前を呼んでください」
目の前の彼は、困ったように瞬きを繰り返し、無言で見つめ返す。
解っていた事なのに。
彼は『この家に仕える』ということを誇りにしている人。
そんな彼が、この家の『お嬢様』である私の名を呼ぶ事など、あり得る筈がない、と。
「わかっています。私は、あなたのそんな所が、好きなのです」
生真面目で、真摯で、優しい人。心の底から愛した人。
だから、泣き顔は見せないの。
「私のことは、大丈夫。だから、お願いです。最後の願いを聞いて下さい」
弟をお願いします。
隆登の側に、どうか最後までいてあげて。
繊細で気の優しいあの子を守ってあげて。
「誓います。命に代えても」
答えてくれたあなたの瞳を、私は一生忘れない。
そうして、落してくれた、手の甲のキス。
たった一度のこの逢瀬が、これから先の私の糧。
あなたが約束を守ってくれる限り、私は生きて行けるでしょう。
あなたに愛されているかもしれない、そんな、仄(ほの)かな夢を抱いて。
一つだけ心残りがあるならば。
私はあなたに綺麗な笑顔を見せていましたか?
最愛の人よ。
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