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「…何故、逃げるの?」
彼の声が、空気が、私に恐怖を与える。
指一本も動かせないほど体を固めて、私は彼を見る。
気づけばすぐ目の前にまで近づいていた。
「…っ」
「…怯えてるの?大丈夫…怖いことは何もないから…」
そう笑う姿でさえ、私にはもう恐怖にしか感じなかった。
スッ…と彼が私の髪に触れる。
ビクンッと体が跳ねる。
恐る恐る十四楼様を見ると、彼はふわりと頬を緩めて私に笑みを向けた。
その時、急に視界が暗くなる。
仄かな暖かみが、口許に熱を持たせる。
静かに合わさる唇…私は驚きと戸惑いに目を見開く。
早鐘を打つ心臓の音が、やけに煩く感じた。
「なぜ…?だって、あなたには…」
狼狽える私に、彼は寂しさを帯びた笑みを浮かべる。
「…彼女は、親同士が勝手に決めた許嫁だよ。
だから、君が思うような恋愛感情は一切ないよ?そう、例えるなら妹のようにしか私は彼女を見ていない…私が特別に思う相手は君だけだから…だから、君だけには誤解されたくないし、君にだけは祝福の言葉をいってほしくない…例え、嘘でも。もし、また今日のように私たちを祝したら………」
そこまでいって彼は、私を抱き寄せると、顔を耳元に近づけた。
「…君を今度は別の意味の恐怖で泣かせるから、そのつもりでね?」
スッ…と静かに離れ、彼は妖しく微笑む。
その姿に私は、またも身を震わせた。
「………話しはそれだけだから、もう帰ってもいいよ?」
「えっ?」
私から離れて、仕事机に戻る十四楼様に思わず声を出す。
「おや、何か期待させてしまったかな?今の君には忠告だけで十分かと思ったけど…どうしてもと希望するなら、お仕置きしようか?」
「失礼します!」
悪戯に笑む十四楼様に勢いよく頭を下げると、私は部屋を後にした。
ドキドキと激しくなる胸を押さえて、赤い顔を必死に隠すように…。
そんな私の様子を見て、彼は静かに笑みをこぼして
「…残念、逃げられてしまったな」
と呟いたことは、走り去ってしまった私の耳に届くことはなく、ただ静寂な夜の闇の中に溶けて消えていった…。
そしてその後、部屋に戻った私は布団に身を包(くる)むと、恥ずかしさを埋めるように眠りについたのだった。
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