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「あそこは余り好きにゃなれん所だった。わしがまだ眼が見える時分のことじゃった。家は町にひとつしかない葬儀屋で、結構羽振りもよかったものだった。ある日、何か祝い事かでおふくろがダラスの街までわざわざ服を作りに連れていってくれたんだが、余り気に入ったものがなくてな、結局おふくろはわしに金を持たせて大通りにある白人の店に行ってこいと言ったんじゃ。おふくろは明るい褐色の膚をした年の割には若く見える女だったが、わしはほれこの通り白人と言ったって不思議じゃないからな、分かりゃしないってね。だがわしは白人の店なんぞにひとりで行ったこたぁ無かったし、ましてそんなことで行くわけだ。恐ろしくて服なんぞいらん、と言ってやったのさ。すると、おふくろはひどく悲しい顔をして一緒について行ってくれたんじゃ。わしが店の小賢しい若い白人の店員と服を選んでいる間中、おふくろは自分の息子に向かって『坊ちゃま』って呼び続けていたよ。馬鹿なわしの為に乳母の役を演じてくれたってわけさね。だがその若い店員はわしの気なんぞも知らずに、おふくろのそんな姿を見て、わしに向かって口に出して言えんようなひどい冗談を言いやがった。わしはじっと我慢したよ。その帰り道で黙っているわしに向かっておふくろは、頭を使えば白人なんて騙すのなんかわけないでしょう、と笑って慰めてくれた。だが、その時のわしの気持ちは自分という中途半端な者がいるってことにやり場のない怒りと、そいつをどうしようもできなかった恥ずかしさでいっぱいだったのさ。家に帰ってわしは買ってきたばかりのその服を破り捨てようとした。だが、できんじゃった。おふくろがあんなにまでして手に入れたもんだったからねぇ・・・」
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