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初めこそ勢いよく噴き出していた血液も徐々にその勢いを失ってゆき底がつきそうだ。それを見ていた彼女は満足げに笑うと、持っていた刺身包丁を逆手に持ち彼女自身の身体に振り下ろした。
「くっ…はあぁ」
どうやら彼女には痛覚が強く表れたようだ。フローリングの上に倒れこみ身を捩って苦しんでいる。
仕舞にはこちらに手を伸ばし助けを求めてくる始末。涙に鼻水に返り血に、顔をグシャグシャに歪めて助けを求められても身体の感覚は既になく、こうして見て思考することしか残されていない自分にはどうすることも出来ない。
「……」
そして彼女は、苦しむことも身じろぐこともしなくなり、どうやら先に逝ったようだ。
急に静かになった四畳半の空間がやけに広く感じる。
思えば、彼女が隣に引っ越して来た時から疑問に思うべきだったのだろうか。どうして突然前のお隣さんは引っ越していったのか、どうしてアルバイト先のオーナーはもうバイトは雇わないと言っていたのに彼女を雇ったのか、どうして休日行く先々で彼女と偶然はち合わせていたのか、どうして…。
予兆はあったんだ。回避できた筈だったんだ…こうなる前に。
「まま…ならない、な」
残された気力を振り絞り、声帯を震わせて意図せず出た言葉が諦観の詞とは。人生とは、真理とはまさにそれなのかもしれないな。と、馬鹿なことを考えて自分の思考は停止した。
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