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「くぅ~ん」
犬?
子犬の甘えるようで縋るようなか細い声が聞こえる。
「! わうわう」
近づいてきているのか、子犬の声は次第に大きくなってくる。
はて、声は聞こえるのになぜ姿が見えないのだろう。
そもそも自分はどこにいるんだ。何も見えず、何も感じない。五感が働いてない?
いや、聴覚だけは活きているのだろう。でも、それ以外がわからない。
光が、香りが、暖かさが、ない。
「……」
なぜ?
「……」
どうして?
「……」
どうして、ムネは冷たいの?
「あっ、ア゛ァァァぁァアaア亜アアあアアあaアァアア…あ…ぁ...」
そうか、そうだったな。
なぜ忘れていたのか。一秒一刻も忘れられるはずがないのに。
この胸を突いたあの氷のような冷たさを。
頭の芯に残る熱い、憎悪を。
忘れてはいけない。わすれては、いけない。
身体中に巡る脱力感と失望感は、消えることは無いし、消す気も無い。
「……」
でもこの燻ぶる感情を誰に当てればいいんだ?
彼女はもういない。自分の目の前で、自分より先に逝ったではないか。
脳裏に映るのは、身悶え血涙を流す姿。
その姿が見れたからこそ、少しは溜飲が下がったものの、見れなかったらそれこそ化けて出るところだ。
「……」
ちょっと待て、“自分より先に”って、なんだ?
「フフッフフフ、アハ、アハハハハハハ」
「って! 死後の世界か此処!!」
パァアと視界が開けた。
それまで死んでいると思っていた視力が、まるで暗室から眩い青空へ続く扉を開けたように、一気に開けた。
そして、初めに眼に映ったのは、
「グゥルルルルル」
鼻筋に大層深く皺を作られた灰褐色の大きな狼さんでした。
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