プロローグ

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 手をはたき、先程から聞こえるザザァ……という水音に振り返ってみれば、横手には空と同じく暗い色をした大海原が広がっていた。けれど、波が寄せてくる場所までの距離は、彼が立つ位置から十歩以上は離れている。  寄せては返す波の動きに合わせて発される音。彼は音の正体に気づいてもなお呆然としたままだった。目の前にある物が何であるのかをまったく理解出来ていないのか、その目は空中をさまよい続ける。  曇り空に気付いて今度はそちらへと興味を移す。本来なら煌めくはずの光も見えず、ただ空を覆い隠す雲だけがそこにある。地上をさらに暗くする雲を見て、彼はまた数度瞬きをし、かぶりを振る。やはり、思い当たる節は無いらしい。  そもそも、自分はどうしてここに居るのか。どうして倒れていたのか。分からない。  自分の名前すらも全く出てこず、額を右手で押さえて軽く頭を振ってみせる。 (一体どういう事だろうね、これは。私は一体、誰なんだい)  眼前に広がる海を間近で見れば何か思い出すだろうかと考えて一歩を踏み出した時、足元に何か固いものが当たった。見下ろすと、全てを真っ白にした四角い表紙が見えた。厚さは分厚そうに思える。スケッチブックの帳面は閉じられたまま、砂に一角を埋めている。
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