汚れたもの

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 黒のインクパッドが、鼠色の机に乗っていた。 「ハイ、手を出して」  言われるままに右手を出す。僕は親指の先をインクパッドに置いた。 「ああ違う違う。こう、指先全体にインクつけて」  横に立っていた男はそう言うと、僕の手を上から握り圧力を掛ける。爪の横から満遍なく、指先全体をぐりぐりと押し付けた。 「ハイ、この紙ね」  それは、横長い升目が十並んだ用紙だ。彼は僕の親指を握り、ゆっくりと回すように全体の印影を写した。 「要領はこう。じゃあ、全部やって」  僕は言われるままに動く、指紋を写すために。インクを塗りつけては紙に、塗りつけては、紙に。十指全て、僕の指先は真っ黒だ。彼が笑った。 「これで、何処で野垂れ死にしても大丈夫だぞ。身元不明遺体にはならないから、安心しろ」  ぽんと肩を叩かれる。それは、重く、重く、僕の肩をずっと押し続けるだろう。  こんな筈では無かった。この指先の汚れが取れても、僕の経歴は綺麗にならない。  一生、そう、一生。  奴等が悪いんだ、今まで巧く行ってたのに。数百万ぐらいでガタガタ騒ぎやがって、あの年増女どもめ。  詐欺? 違う、奉仕だ。お前等に奉仕した対価を貰っただけだ。良い夢をみせてやったのに。  ここを出たら、覚えてろ。一生後悔させてやる。僕の経歴はもう綺麗にならないんだ。  一生、そう、一生。
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