第壱話「姫君御入輿」

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シャン、シャン、シャン… 将軍の住まう「中奥(なかおく)」と、女達の住まう「大奥」を繋ぐ唯一の通路である御鈴廊下(おすずろうか)の鈴が、(おごそ)かに鳴り響いた。 将軍の奥入りを迎えるべく、御目見得(おめみえ)以上の女中達が、御鈴廊下の長畳の左右にずらっと居並び、平伏してゆく。 「上様、御成(おな)りー!」 御鈴番の声と共に「御錠口(おじょうぐち)」と呼ばれる杉戸にかけられた金色の錠前が、 係の女中によって素早く外されると、杉戸はスッと左右に開かれた。 御鈴廊下は、この御錠口で大奥と中奥の境を仕切っており、将軍以外の男子を立ち入らせない為に、普段から鍵をかけておく事が古くからの習わしだった。 時は宝永六年──。 大奥の境を踏み越え、廊下のとっつきに現れたのは、六代将軍・徳川家宣(とくがわいえのぶ)である。 家宣は、甲府宰相・綱重(つなしげ)の嫡男であり、三代将軍・家光の孫にあたる。 世継ぎに恵まれなかった叔父、五代将軍・綱吉(つなよし)の養子に迎えられて、この年、めでたく将軍職を継承したのである。 家宣は平伏(へいふく)する女中達の中を昂然と歩んで行く。 居並ぶ女中達の先頭にいたのは、家宣の正室である御台所(みだいどころ)熙子(ひろこ)。 熙子は公家・五摂家(ごせっけ)の筆頭である近衛(このえ)家の姫であり、父は関白太政大臣、母は後水尾天皇の皇女という最高の家柄と血筋を誇っていた。 家宣が自らの前を通り過ぎると、熙子は静かに立ち上がり、優しい微笑みを湛えながら、将軍の背に従って歩いて行く。 それから順に、前から次々と女中達は立ち上がると、列を成すようにしてその後に続いた。 将軍は奥入りすると、御台所と共に「御清の間」にて拝礼し、次に将軍生母の部屋へ挨拶に向かう。 その後、大奥の “ 御座(ござ)() ” にて、御台所と共に御目見得以上の女中達から朝の挨拶を受けた。 この行事を「総触(そうぶ)れ」といった。 家宣は御座の間に入ると、上段の中央に腰を下ろし、熙子もその傍らに稚児小姓を背後に従えて座った。 下段には女中達が居並び、家宣達と向かい合うようにして、ひれ伏している。
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