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㈠
「困ったな 」
事実彼はただただ困っていた。空腹を覚えたのだが、母親がいなくて食べ物が無かったからだ。 いや、冷蔵庫や貯蔵庫には色々入っている。しかし彼は調理をした事が無いので何も無いのと変わらない。
「せめてカップ麺でも買っときゃ良いのに……」
母親に恨み言を呟く。しかし呟いたところで腹が膨れるでなし、どうしたものかと考えた。
「ピザかなんかとるかな 」
彼は一番奥の自室に戻った。
彼の家はさほど古くは無いが平屋である。一番奥の部屋は祖母が昔使っていた部屋だ。高校の制服を見る前に祖母は他界した。丁度受験生という事もあり、玄関寄りだった四畳半の自室から、祖母が使っていた八畳の奥の間に引っ越した。ちなみに、祖母どころか誰も、本人すら高校の制服を見る機会は無かった。彼は優秀だったにも関わらず、有名進学校に難なく合格したにも関わらず、入学を拒否したからだ。両親はとても嘆き、憤り、昼間は母に夜は父に中学では担任から校長に至るまでが彼を責めたりほだしたりし続けたが、彼の意思は変わらなかった。いや寧ろその周囲の狼狽ぶりが彼の意思を頑ななものにした。
部屋に鍵をつけ、籠城した。卒業式も出なかった。
その日、ピザ屋は嘘臭い笑顔をひきつらせていたかと思うと徐々に深刻な顔に変わっていった。手を出しているのに中々金を受け取らないので顔を見上げて表情の変化を見たのだ。
ピザ屋の青年は彼を見ていなかった。目線は彼より後ろに向けられていた。
渋々彼は久しぶりに声を発した。
「何見てんすか? 」
訝しげな顔を作りポソポソとした声で言った。
「あ…… いや…… 」
強張った表情のままピザ屋は顔を彼の方に向け、目線はその後から追い掛ける様に彼の後ろからゆっくり彼に向けられた。
「金、足りてるでしょう。」
彼は又ポソポソとピザ屋に言った。
「はい…… 有難う…… 御座いました…… 」
そう言いながら又ピザ屋は彼の後ろに目を遣っていた。中々帰らないピザ屋に彼は苛々し始めた。
「まだナンかあんすか?」
ポソポソ言う。
「え…… いや…… 失礼しました! 」
ピザ屋は彼の後ろから目を離さずに出て行った。
彼はピザを持って巣に戻った。さっきの苛々する愚鈍なピザ屋の顔を反芻していたが、直ぐに忘れた。
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