遺書

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 巷の人々が生あるというだけの、ただそれだけの事実に無上の喜びを見出すのを見ているのは私としては不思議でもあったし、彼らが羨ましくもあった。  ただ宛てもなく、ふらふらとさまようだけの旨味のない人生を生きてゆくのは辛い。そこで私は生きている理由付けをしようとした。  それは労せずして見つかった。あまりにも身近な存在であったからだ。  私は母に生かされていたらしい。  母は私を生かすことが生き甲斐なのだといった。  私は生き続けることで母に生き甲斐を与えることができる。  この発見はまさに僥倖といえよう。  しかし死に神は大鎌をもたげ、私の傍らにまるで婚前の貞淑な女のように寄り添っているようなのである。  死に神が私の耳元に漏らした新たな疑問を前に、私は屈した。  人は生きることに理由付けをしなければ生きてゆけないのか。  人は理由に飼育されている。  ひとたび理由がなくなれば、再び人は新たな理由を見つけなければ生きてゆけない。  私は思うのである。本来これは逆であるべきではなかろうか、と。
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