絵画

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 記憶の最初にあるのはパブロ・ピカソの「泣く女」。確か3才か4才の時だったと思う。両親の知人に頂いた図鑑シリーズの 数センチ四方に掲載されたその絵は今でも鮮明に焼きついていて思い出せる。崩れた構図、ハンカチを噛む女、ステンドグラスのような色彩、そのどれもが圧倒的で鳥肌が立った。  絵画については今でも技法だとか細かいことはよくわからない。知るつもりもない。感じたまま、揺り動かされるままをその絵画ごと心に留める。強く印象に残ったときには自然と目を閉じている。  そうして目を閉じたままに心の中で眺めた後、もう一度目を開けて眺めている。そして、イメージと見比べてみる。自分の感覚を確認するためだ。  実物のピカソの絵を見たのは大学の時だが、記憶が曖昧で良く覚えていない。有名なゲルニカもレプリカだったからかもしれないし、好きな絵がなかったからかもしれない。強い印象に残ったのは東京に来て、サントリー美術館で見た「海辺を駆ける少女達」だったろうか。野放図な躍動感に溢れていて、絵画の前のわたしはどうしようもなかった。  人の肉体についての美しさは、意図的に作られたものではなく、例えば仕事における動作の反復によって、筋肉さえも無駄を否定し、研ぎ澄まされたフォルムに現れてくるとわたしは思っているのだけれど、ピカソのその絵には肉体の美は描かれていなく、喜びと躍動感に溢れているように感じる。 絵画というのは不思議なもので、絵画展に行くと、出口のところに絵画集の図鑑であったり、ポストカードであったり、マグカップや下敷きなど様々に絵画の関連商品を売っているわけなんだけれど、絵画に感銘を受けた後に絵画集を含め、その商品らにプリントされた絵を見ると、ぞっとするくらいに薄っぺらい。  そういう意味でポストカードを購入して、部屋に飾り眺めるうちに、絵画を前にした感銘が色褪せていくように思える。そうした時に目を瞑って脳裏に焼き付いた絵画を眺めると、やっぱりすごいんだな。  ポストカードの薄っぺらさを感じると同時に絵画そのものの立体感であるとか、迫力というのは本物しか持ち得ないのかもしれない。
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