宗教とかそういうもの

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 数年前に東北を歩いて旅したときのこと、中尊寺の麓にすむ人々と話をした折り、その話の中に仏が宿っていると僕は感じた。その土地は空気にまで染み渡っていて、僕は包み込まれているような感覚を味わった。  そんな人々にとっては「宗教」という言葉はいかにもいかつく感じられ、失礼にあたる気がする。これは他の宗教に生きる人もそうなのではないかと思わせるに至った。  一方で今までイスラム教やキリスト教の外国人、それが知人友人にさえもそう思えなかったのは、単純なところで隔たりを設けていたように思うのだ。それは今となっては恥ずかしい。  話を戻す。ある啓示なり思想が誰かから端を発し、人々に伝わり、信仰され、拡大する過程で他の教えとぶつかることで宗教となる、つまり宗教とは境を設けること、そんな気がする。世界にはキリスト教、イスラム教、ヒンドゥー教の3大宗教がある。多くの信仰を集めるこれらの宗教ですら統一することは叶わない。その他にもたくさん宗教があるのは知っての通りだと思う。     世に知られ、時の篩にかけられ、多くの人々に信仰される教えは深く理解しなくとも、賛否両論あろうとも、そのどれもが敬意を払うべきものだと信じられる。けれども、その一つの中に生きてはいない僕は選択するよりほかない立場にある。  それは歴史的に見て、或いは信仰をもつ人々からみて不幸なことかもしれない。どちらにせよ僕にはわからない。選択するより、その中庸を求めて漂うことにする。
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