1人が本棚に入れています
本棚に追加
レースには一本かぶりの人気馬がいた。無事ならクラシックもといわれた逸材だったが、春先に故障し休養を強いられた。
出走メンバーを考えると、ここなら確勝だろうと思われていた。
ゲートが開くと途端に客がざわめき出した。そつなく先行して良い位置につけると思われていたその人気馬がスタート直後からマクっていってハナに立ったからだ。
騎手が立ち上がって馬と喧嘩している。明らかにその馬は掛かっていた。馬群はそれにつられて縦長に間伸びしてレースは完全なハイペースになっていた。
先頭を行く人気馬はそれでも自力の違いで4コーナーまで逃げ粘り続けた。
地響きを蹴立て、砂ボコリを巻き上げながら馬群が直線にさしかかる。人気馬とそれを深追いして前に行った馬達は、軒並み脚色が鈍っている様に見えた。
残りあと1ハロンの所で差し馬達が一斉に強襲してきた。
半ば諦め気味に見ていた私は、はっとして思わず身を乗り出した。馬群がゴール板を通過したとき、大外から突っ込んだゼッケンナンバー9番が一瞬見えたからだ。
自分で馬券を買っておきながら、大袈裟に言えば悪い冗談でも聞いている気分だった。だがやがて掲示板の一番上に9番と上がると、私は柄にもなく大喜びしてボケットの中の千円の単勝馬券の所在を確認した。
礼を言うつもりでも無かったのだが、スタンドの側まで戻ってきているはずの、そいつの来るだろう方向を振り返った私は言葉をなくした。
遠くで騎手が下馬しているのが見えた。馬の左前肢が不自然にブラブラしている。何が起こったのか一目瞭然だった。
私は柵にすがりつくようにして暫く見ていた。
最終の勝負を終えた連中の大半がスタンドを後にした時刻になってもまだ、見ていた。
手綱を曳かれ馬運車へと静かに入っていったそいつは、しかし二度と出てこなかった。
予後不良だった。
あの単勝馬券を、私は遂に換金する事が出来なかった。払い戻しを受ければかれこれ十万近い額にもなったのに。
そしてその馬券はまるで戦友の形見ででもあるかの様に、まだ私の財布の中にある。
最初のコメントを投稿しよう!