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       朝、鏡の前に立つ。右手に剃刀。左手は顎。毎朝繰り返される行動ルーチン、右手を動かす。  それが私の、一日の始まりだった。      剃り残しがないか、丹念に確かめる。  まず、正面から。次に、右側面。これは私が右利きなことに所以する。次、左側面。少し顔を上げたり、下げたり。  大丈夫、顎にしっかり2ミリの髭を残して、他は綺麗に剃り上げられている。  毎朝のことながら、完璧な剃り具合である。  毎朝、毎朝、私は顎に2ミリの髭だけを残して、顔中に剃刀を走らせる。  いや、これだと普通であることとの相違点が伝わりにくいか。言い方を訂正しよう。  私は毎朝、顔中に剃刀を走らせる。ただし、顎に2ミリだけは、絶対に残すのだ。  私は他人よりも幾分か強い思いを顎髭に馳せていた。      左手でジョリジョリと顎の髭、いや、無精髭と言うべきか。それを触っていた時だった。  ふと、昔のことを思い出した。        若かりし頃、妻と幼い娘が待つ家へと帰宅した時だっただろうか。  その日はきっと朝から多忙だったに違いない。夜に帰宅して鏡と向き合った時、朝に髭を剃り忘れたことによる普段以上の髭の植毛に気付いたことが記憶に残っている。おそらくそのことが私にそう思わせているのだ。  私の顎に数ミリ単位ではあるが、確実に普段よりも長い髭が蓄えられていた。  そのままいつものように、幼い愛娘に頬すりした時のことだった。   「パパ、おひげくすぐったーい」    私が頬を娘に擦り寄せる度に、きゃっきゃとはしゃぐのだ。  ここにきて初めて不潔による罪悪感に見舞われた私だが、何を思ったか不意に、髭を蓄えた顎で娘の頬を撫でてみた。  すると、娘は先ほどよりも更に楽しげにはしゃぐではないか。    それ以来、私はその日の顎髭の長さを2ミリと正確に記憶し、毎日髭を整髪している。  娘は小学に上がるまで、私のささやかな髭を気に入っていた。      やがて娘は育ち、私の元を離れていった。  それでも私は、毎朝髭を2ミリだけ残して剃っている。  ジョリジョリと左手でそれを撫でていると、鏡の向こう側の私の瞳が、少しだけ細くなった。    
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