0人が本棚に入れています
本棚に追加
/2ページ
あの日、姉は父の僕は母の手をつかんで電車が来るのを待っていた。いや、正確に言えば父と姉が待っていたのであり僕と母はそれを見送るためにここにいた。
春も終わりになろうとしている5月のことだったと思う。今でも悲しみとも怒りともつかない表情で僕の手を強く握りしめていたのをよく覚えている。
「お父さんとお姉ちゃん、どこいくの?」
この生き殺しのようなつまった空気に耐えられなくなった7歳の僕は、おどおどと訪ねる。いつも優しい家族がこんなにも怖く感じたのはこれが最初で最後だったと思う。
父は口許だけを困ったように笑ませて僕の前に屈んだ。
「父さんとお姉ちゃんはね、遠くへいくんだ。こうが行けないくらいずっと遠くへ」
あの時の姉はなにが起ころうとしているのかちゃんとわかっていたんだと思う。1つ上だけだと言うのに彼女はまわりよりも断然大人びていた。
「遠くへ? 旅行に行くの?」
あの時は無知だったとよく言うが本当にそうだと思う。あの時の僕はなにも分からずただクリクリとした目で見詰めるだけだった。
「うーん、ちょっと違うかな。とにかく、お父さんとお姉ちゃんはいかなきゃいけない」
「うん、分かった。ねえ、いつ帰ってくる?」
無垢な僕は素直に頷く。ものわかりがいいのではなく本気でわかっていないのだ。
「それはね……」
『1番線に登り電車が到着します。黄色い線の後ろまでお下がりください』
「おっと時間だ」
まるで僕の問いを拒むかのように父は忙しく荷物を持ち上げる。
そのまま、僕の質問に答えぬまま電車が停止した。
「それじゃ、こう。さよならだ」
「え……」
この時僕はやっと気がつくもう父にも姉にも会えないのだ、と。
しかし、気づくのが遅すぎた。駆け寄ろうとした時にはもう電車の扉は締まり、少しずつ動き出していた。
「……」
その光景に幼い僕はただ呆然と見詰めることしかなかった。ただ、姉は違った。声の聞こえないなかで彼女はゆっくり口だけを動かした。
またね、と。
最初のコメントを投稿しよう!