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赤禰 武人(あかね たけひと)1838~1866年
長州藩士。
周防国柱島(現・山口県岩国市)の医師・松崎三宅の息子として生まれる。
15歳で遠崎村の妙円寺住職・月性の門人となり、その紹介で赤禰家の養子となった。
18歳で松下村塾に入門。後に京都の梅田雲浜に学んだが安政の大獄で雲浜が捕らえられた際に連座して捕縛される。
文久2年(1862)高杉晋作らと共に品川のイギリス公使館を焼き討ちにする。
その後、奇兵隊に参加して総督に就任。下関戦争では四ヶ国連合艦隊と戦っている。
赤禰は尊攘志士の中でも穏健派で俗論派と正義派を和解させようと奔走し半ばまで実現させる事が出来たが高杉晋作の功山寺決起により正義派が勢いを盛り返しその苦労は水泡に帰す。そればかりか奇兵隊からの同志からも糾弾され身の危険を感じ隊を離脱し上京するが幕吏に捕らえられてしまうが幕府と長州の和平の路を見出だすため釈放される。
しかしこの事がさらに赤禰を追い込んで行く。
藩に幕府のスパイ容疑を掛けられてしまうのだ。それもそのはず、すでに藩論は幕府側との徹底交戦が決まり、山口市出合河原において斬首。罪人同様の扱いで晒し首にされた。
和平を望んだ為に命を落とした悲運の奇兵隊総督である…。
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