昭和20年(1945年)

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3月25日 「なぁ長野今日も良い天気だな」 「そうだな加藤」 ここは京阪神急行電鉄(現・阪急電鉄)正雀工場 私はここで車両の製造を行っていた 今話し掛けた長野誠は中等学校で知り合った級友で少しやんちゃな奴だ 「それにしても最近は車両の修理が多いな…」 「あぁ…サイパンを取られてからB公(B-29爆撃機)や敵戦闘機が毎日の用に空襲 機銃掃射をしてるからな しかも修理したくてももう物資がないからな」 修理したくても物がない 当時はそれ程物が無かった あったとしても全てお国の為と言われ どんどん軍に持って行かれた
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