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「先輩、迎えに来なくたって俺はもう逃げませんよ」
「いや、確かに最初はそうだったけど…そうじゃなくて」
「え、何です?」
「…モデルはもういいんだ。それ言いに来た」
「ああ、今日は中止ですか?何か用事でも…」
「いや、違う。今日だけじゃなくて、これからずっとって事」
先輩の言葉に頭が白くなった。
「…あ…そう、ですか」
心臓が嫌な風に騒ぎ出す。
「もう俺はモデルしないで良いって事?」
「ああ」
「なーんだ…それならそうと、もっと早く言って下さいよ。俺も暇じゃないんですから」
動揺を気取られるのが怖くて、ついつっけんどんな物言いになってしまった。
しかし、先輩はそんな俺を気にする風でもなく、すまなそうに言った。
「ごめんなぁ。本当はもっと前もって言うつもりが、うっかりしてた」
「まあ良いですよ。…あーやっと解放されるんですね俺」
ショックを悟られぬ様、如何にも清々してるという風に振る舞う。
「…そうだな、何だかんだ長い間有り難うな」
先輩はいつもの優しい顔で礼を言う。
「こちらこそ、2ヵ月間色々ご馳走様でした」
それから、先輩と何を話して何処でどう別れて家に帰り着いたのかよく憶えていない。とにかく今は着替えるのも億劫で、制服のままベッドに寝転がる。
先輩とはもう、廊下ですれ違う程度の関係になってしまうのかな。
思えば、俺は先輩の携帯番号もアドレスも知らない。
…携帯どころか、フルネームすら
俺は先輩の事を何も知らない。
週に1度か2度のあの時間は、自分にとってとても幸せなひとときだった。
あの時間が終わってしまうのが寂しくて、わざと忘れ物をして取りに戻ったりした。
その度、先輩の「しょうがないねぇ、お前は」と笑う顔が、どうしようもなく好きだった。
先輩も、少しはあの時間を楽しいと感じてくれていただろうか。
モデルと依頼人なんて、そんなに長く続くものではないし、終わりがあるのは当然だ。
わかっていた。
なのに。
思いの外、ショックを受けている自分にショックだった。
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