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2010年,7月7日。再入院7ヶ月27日。
毎晩私は日記を綴る。閉鎖病棟の消灯も過ぎた暗いホールの非常灯の下で。
25歳、昨年11月にここに再入院した時は、28kgだった。
固形物食べたら絶対吐いてきたからと、栄養摂るために高カロリー流動食を宅配してもらい、医師と決めた本数だけ飲む約束だったのに、
家族の目を盗んで災害用の乾パンやら炊いておいた米やらを過食しては吐いていた。
保護室・隔離部屋への入院予約は取ってあった。その入院で、10年間の嘔吐人生に終止符を打とうと、きっと打てると思っていた。
11月10日入院。初日から「食べれるはず、吐くな」と3食で1000kcalの食事が出された。
ご飯100g。常食のおかずが半分ずつ、忘れもしない10年ぶりの「吐かない食事」はエビチリだった。
4畳ほどの、何にもない部屋。
白い壁は殴っても血が出ない程度に柔らかく、叫んでも他の患者さんに聞こえないよう防音されている。
床の上にマットレスと枕、布団。裂いて繋いだら紐になるからとシーツも張られていなかった。
開く筈のない2重窓。
部屋の隅にはポータブルトイレと芯の抜かれたペーパー。
食事は全量摂取し、嘔吐や自傷行為が確認されたら最低一週間の拘束、経鼻チューブでの強制栄養という原則が決められた。
施錠された扉が開かれるのは3度の食事時と朝夕の洗面、朝の検温の時くらい。
私物の持ち込みは一切不可と言われたが、一日30分だけ、日記や手紙を書ける時間を許可してもらった。
A5サイズの大学ノートの片面1ページに、びっしりと文字を書き連ねた。
テレビも携帯も勿論ない。本も音楽も、なんの時間潰しの道具も持ち込めない。
監視カメラで24時間見張られていて、過度の運動も逸脱行為として拘束の罰が下ることになっていた。
家族との面会も許可されない段階からだった。
体重が増加するにつれ課せられた制限が解除されていくという、摂食障害の治療では一般的な「行動制限療法」のかなり厳しい治療計画だった。
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