登山

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一人乗りの小型浮揚船は、 大地と水平に距離を保ちながら 静かに空中を滑走していた。 パイロットは遥か前方に巨大な建物が出現し、 徐々にこちらに近付いてくるのを認識していた。 それは大平原の中にそびえ立つ超高層ビルだった。 その高さは1000メートル以上にも及ぶ、 人類の歴史上最大の建造物だった。 それはノッポなビルというよりも、 巨大な城、世界を断絶する壁という感じだった。 幾度もの崩壊の歴史を繰り返し進化した人類は、 全ての機能をその建物に集約し、 その中へ移り住んだ。 それは一つの都市であり、 国家であった。 周りには何もなかった。 無限の大地にそのビルだけが君臨していた。 浮揚船はビルに近付いていた。 パイロットは浮揚船をビルを中心に旋回させる進路を選んだ。 その時パイロットは、 遥か下方のビルの壁に、 小さな黒い点が張り付いているのを見た。 それは一瞬ビルを登る人のように見えた。 パイロットはそれを自分の目の錯覚だと思った。 錯覚ではなかった。 それはビルを登る男だった。男はかつて世界に名を馳せた登山家だった。 その人生を通じて、 世界の巨峰を登攀してきた登山家の目には、 その巨大な建造物は新たに出現した山としか映らなかった。 男の精神は遠い昔の山に奪われていた。 「私はこれを登らなければならない」 それはこの登山家がやり残したたった一つのことだった。 周りの人間は皆、 男にこの無謀な挑戦を思いとどまらせようとした。 でも誰ひとりとして、 男を止められる人間はいなかった。 それは山ではない、 人間の創りだした建造物であると、 男を説得した人々も、皆、最後にはこの男の狂気にあきれ、 説得を諦めたのだった。 男の精神は完全に常軌を逸していた。
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