龍造寺家戦乱期

5/5
前へ
/5ページ
次へ
1559年1月 世の中は各国が小競り合いを繰り広げていたころある国が頭角を表す。 そう!毛利軍と同盟をくんでいる尼子家だ!!! えっ‥尼子かよ…。という反論は受け流し宇喜田けとの決戦に望んだ。 2ヶ月余りの戦いで宇喜田軍15000は壊滅。 宇喜田軍は下関港に4100の兵でたて籠もった。 そのころ龍造寺家では 技術開発を終えた鍋島一向が帰還。 時は1559年4月 家兼「まずは後方の驚異を取り除くべし。すぐに約15000の兵をもつ大村城へ出陣せよ!!!」 隆信「お待ちくだされ(焦)策はあるのですか?」 鍋島「はい!!!私にいい案がありまする。まず全軍で突撃いたしまする。一気に大村城に雪崩れ込み落城次第長崎港へ進軍し海への道を切り開きます!!!」 隆信「確かに策何かは龍造寺には不必要。いざ出陣!!!」
/5ページ

最初のコメントを投稿しよう!

5人が本棚に入れています
本棚に追加