我将斬電子化論議

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そんな中、時代の転機の常として本という物を擁護する論者も少なからず存在する。 だが、彼らの言説は往々にして電子化信奉者の挙げるメリットの裏返しであり、重箱の隅を突いているだけのように見受けられる。 例えば、バックアップコストが逆に無駄であるとか、著作権の侵害が用意であるとか、専用端末の必要性による国家間、地域間のデジタルデバイド等がそうだ。 それらは確かに書籍の電子化を進める上で憂慮すべき事では有るが、同時に全て技術の躍進による解決が期待出来る物だ。 つまり今後数世紀の書籍の未来を見る上ではそれらは些末な事でしかない上に、それを主張している者達は無理に電子化側の合理主義に沿った主張をするものだから、自分がどちらの味方なのか分からなくなっている。大局的な視点で我々がこれを見据える時、真に憂慮せねばならないのは日進月歩する技術の進化により克服しうる取るに足りない問題ではなく、電子化という事象が本質的に抱える概念的な問題だろう。 それでは、電子化の本質とは何か? 合理主義である。 そもそも電子化という物自体が”便利さ”の追求の果てに生まれた物なのであるから当然だ。 これはとても都合のいい言葉であり、この資本主義社会では至上命題となる物だ。 しかし人々はその輝きに目を奪われるあまり、それが同時に『自らの価値観の取捨選択を預けていること』であるのに気付いていない。 このまま書籍の電子化が進めば、大衆の思考はよく言えば合理的に、悪く言えば短絡的になっていくだろう。 果たしてその先に明るい未来が待っているだろうか? 我々は合理主義の価値判断に囚われ、些末な事象に手をこまねいている場合ではない。時代の転換期であるからこそ、その根幹に目を向けるべきなのだ。 電子化の是非を問うのは、それからでも遅くはないだろう。
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