翔太

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舞台が暗転すると、次に明かりがついた時に、「アンダルシアの嵐」の一場面がストップ・モーションで演じられていた。それがアンコールの拍手の度に、暗転した舞台の照明が明るくなると、異なった場面のストップ・モーションが延々と演じられたのであった。それは今まで演じられた舞台を、一幅の絵画で連続して見せられているようなものだった。素人の翔太にも肉体を極限までに舞踊に転化できることが、どんなに素晴らしいものかを教えられた気がした。翔太と同伴していた女性は感激で眼を腫らしていた。その女性も今はもういなかった。翔太が大学の最終学年になった年に、交通事故で亡くなったのだった。今思えば「ソレア」の上手に踊れる人であった。この「孤独」を意味する古いアンダルシア・ジプシーの舞曲を、彼女はガデス舞踊団にいた名女性舞踏家クリスチーナ・オヨスにも似て、肩と背中の動きで表現をすることができた。そんなことを考えながら、翔太はタブラオにひとり席をとった。軽いおつまみとビールを頼んで、舞踏ショーを鑑賞した。いやむしろ鑑賞といった受け身の姿勢ではなく、一緒になって騒ぐと言った方が正しかった。カスタネットを持った踊り子は賑やかにアレグリアスを踊っていた。華やかな踊りが済むと、老人の歌い手が出てきた。フラメンコでは心の奥深くに沁みこむことをホンドと言う。踊り手はバイレ・ホンド、歌い手はカンテ・ホンド、ギタリストはトーケ・ホンドを一番としている。渋い喉から搾り出すような老人のカンテ奏者には確かにホンドがあった。
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