翔太

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ソレアレスのソロが始まった。「椅子の埃を」という唄である。もちろんスペイン語だが、このような歌詞であった。お前の座るその椅子の、埃を吹いてやった俺、お前の気持ちが解らないから、俺の悩みは深いのだ。愛することをやめるのは、水の面に字を書くことや、石から血を取り出すことと、同じくらいに無理なこと。君を愛することをやめるのは。・・・大きな拍手をあとにカンタオールは舞台から幕間にと戻って行った。翔太は少し酔いが回ってきた自分を感じていた。あの彼女が生きていたらなあ、と思った。舞台では日本人のギタリストが旋律を奏で始めた。その音を聞いて翔太は一瞬びくっとした。翔太の一番大好きなフラメンコ・ギタリストのマノロ・サンルーカルの曲である。「エレジィ」(哀歌)であった。詩人のミゲル・エルナンデスが、急死した親友に捧げる詩をインスピレーションとしたもので「ラモン・シヘに捧げるエレジィ」という曲であった。うねるような高音の連続音から低音の連続音に移り、ラスゲアードの後で綺麗にトレモロに変わっていく。サンルーカルは「タウロマヒア」(闘牛狂い)というアルバムの中で「祈り」と題してこの曲をトレモロ曲の傑作に改めている。サンルーカルの非凡なところは、低音を弾く親指がメロディックに独立して動き、他の奏者のように単調に弾かないところだった。「祈り」は清々しく厳かな演奏だった。それに比べて今演奏されているのは、胸に沁みいるような「哀歌」であった。
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