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第一夜
波打ち際。海は一定の間隔で行ったり来たりを繰り返す。白い泡に独特な潮の香り。私はそれが割と好きだ。
何も考えずに歩いていたが、ふと足元を見て思う。
「……靴、いらないかなぁ」
素足を水につけると、砂が波にさらわれて足の指をすり抜けていく。なんとも言えない感触につい笑ってしまう。
そういえば、子どもの頃はこの感覚が苦手だった。足元が不安定になる事に幾許かの恐怖を覚えたものだ。
いつからかそんな思いも、記憶もどこかにいってしまった。無感動になるのも大人への道なのだろうか。
「あ、貝殻」
砂の中から白いものが見えた。小さな二枚貝の片割れ。周りをよく見るとなんだか色々と落ちている。貝殻をはじめ、ちぎれた海藻、流木、そして。
「シーグラスまであるのか」
海に流れ着くまでに角が取れ、すりガラスのようになった瓶のかけら。特別感があって好きだった。まるで小さな宝石だ。
いつの間にか手に持っていた袋に、そっと入れる。また子どもの頃のことを思い出す。海に来るたびに沢山のものを拾ったものだ。
誰もいない海岸線を歩きながら、黙々と気になる物を手に取る。なんだか気持ちも上向きになる。
その時。優しい音が聴こえた。ポロン、と指で爪弾く楽器の音。
顔を上げると、いつの間にか小さな入江の前にいた。波の音に混じり、優しげな音が聞こえる。誘われるように入江に近付くと、岩の上に人影が見えてきた。
深緑色の髪に、同系色の肌。耳の辺りにはヒレのようなものが付いていて、胸の膨らみから、女性なのだと分かる。そして一番目を引くのは、魚のような鱗に覆われた下半身だった。きらきらと輝く鱗に半透明の尾びれ。美しい人魚は長く細い指で竪琴を奏でていた。
私の視線に気付くと彼女は薄く笑って言った。
「ごきげんよう」
その声までが透き通るようで、美しかった。
「何かいいものがあった?」
私の持つ袋に気付き、彼女は問いかける。私は拾ってきた物を手のひらに乗せてみせた。
「子どもの頃を思い出して夢中になって拾ってたんだ」
彼女はそれらを手に取る。触れた指先はひんやりと冷たかった。
「ふふふ、綺麗ね。こういうものが好きなの?」
「うん。宝物みたいで素敵だよね」
私の言葉を聞いて何か思いついたのか、彼女は「ちょっと待ってて」と声をかけるとおもむろに海に飛び込んだ。
暫くしてから戻ってくると、彼女は手に持っていたものを差し出す。
「これ、あげるわ」
手渡されたのは、白く輝く真珠と紅色の珊瑚。どれも海岸では見かけないものだ。
「私のお気に入りなの。出会えた記念に貰ってくれる?」
彼女はそう言って微笑んだ。私は喜んで受け取ると壊れないように他の宝物と一緒にそっと袋にしまう。
「ありがとう。大切にする」
彼女は嬉しそうに頷いた。そしてまた竪琴を鳴らし始める。
「よかったら聴いていって」
奏でる音に合わせ、優しく歌い始める。
人魚の歌は人を魅了し、惑わす。美しいが故に魔性であると言われることも多い。だが、彼女の歌はただただ優しかった。魅了はするが、惑わすのではなく包み込むような歌だった。疲れているわけではないのに、段々と瞼が重くなってくる。
「……また、会えるかな?」
「もちろんよ。あなたがそれを望むのなら。私はどこにも行かないわ。だって……」
その言葉の続きは聞き取れなかった。歌に誘われ、微睡の中に身を委ねる。
彼女の声も、竪琴の音も、漣も、全てが遠くなっていく。
そっと目を開ける。もう煌めく海岸線ではなかった。ふと隣を見ると持っていた袋。中には子どもの頃の思い出と、彼女がくれた宝物が入っている。
袋の外側から触れると、シャリシャリと擦れる小気味良い音が聞こえた。
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