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「おざまーす」
「あ 来た」
楽屋に入ると、春日と鏡越しに目があった。
「ダイスケ君が電話しに行きましたよ」
「うそ。…あほんとだ、掛かってきてた」
「遅いから心配してた」
「まだギリ遅刻じゃねーじゃん」
「ギリね。あ、衣装そこ」
再び鏡に目を遣る後ろ姿。
俺が鏡に映り込まない所まで移動し、着替えながらこっそり見つめる。
ぺかぺかに整えられたツヤのある黒髪。誰かがゴキブリに見えるって言ってたな、江崎か誰か。
(あ、ゴミついてる。)
後頭部に手を伸ばそうか、迷ってやめる。
着ていたTシャツを脱ぎ捨てシャツのボタンと格闘していると、不意に視線を感じた。
支度が終わって、どっしり椅子に腰掛けた春日がこっちを見ている。どことなく怪訝な顔。
「…何」
「いや、別に」
無視して、ネクタイを結ぼうとシャツの襟を立てていると「あ」と小さな呟き。
もう一度目を遣ると、春日が自分の首筋をとんとん、と叩いて見せた。
「あ?」
「ここ」
「何だよ」
「ついてますよ」
鏡を見ると、赤紫の跡がくっきり。
血の気が引いた。
鏡越しでも、春日の顔は見れない。
次の瞬間あいつが笑みを含んだ声で「お盛んですこと」とか言いやがるから、殺したくなった。
そのあと、死にたくなった。
お前だって頭にゴミつけてんじゃねーか。ばかやろう。
すぐに聞こえる新聞を広げるバサッという音。
ネクタイがうまく結べなくなる。
ちくしょう。
気持ちがどんどん捻れていく。
俺ん中はこいつでぎっちり埋まってるけど、こいつん中には俺のスペースはなくて。
だけど俺だって、さっきまで関係ないもんで体ぎっちり埋めてた。
二回イッてから来たんだぜ。
なあ、春日。
結び終えたネクタイは曲がってた。
今度は、泣きたくなった。
おわり。
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