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しばらくして、再び虎次郎が戻ってくる頃には、おれはいつものおれに戻っていた。
立ち直ったわけじゃない。
寧ろ傷は更に体の奥へと進んでいく。それでもおれは誤魔化すようにその傷の上から、かさぶたのような真っ赤な絆創膏を貼るのだ。
虎次郎に気づかれないように。
「長くなってごめんね」
閉じた携帯をポケットにしまいこむ虎次郎におれは「平気」と答える。
出来れば何も言わないでほしい。
電話の内容を話さないでほしい。
でもそんなおれの願いも虚しく、虎次郎は「今の電話さー」と椅子に腰を落とす。
聞きたくない!
全身に力が篭る。
「家にゴキブリが出たーって姉さんが泣きながらかけてきたんだよー」
「え?」
思わず聞き返す。力が抜けたせいか間抜けな声をあげてしまった。
目をぱちくりするおれにお構いなしに虎次郎は続ける。
「今家に姉さんしかいないらしくて、助けてーって泣きつかれたんだ。いつも退治してるの俺だから」
東京にいる俺にどうしろって言うんだよって感じだよね、と笑いかけてくる虎次郎にほっと胸を撫で下ろす。
でも次の瞬間そんな自分が妙に虚しく思えた。
今かかってきたのは、たまたまお姉さんだっただけなんだ。
きっと虎次郎の携帯をひとたび開けば、着信履歴も発信履歴も共に、大半がお姉さんでもなく、おれでもない、他の誰かの名前が並んでいるのだろう。
そう……確実に、受話器越しに互いの声を感じているんだ。
ただその場に、おれがいるかいないかの違いなだけで。
もしかしたら、昨日だって話していたのかもしれない。
昨日「また明日な」って分かれ道でおれと別れた後かもしれないし、寝る前だって考えられる。
会えなくて寂しいと、弱気な相手に、愛の言葉を囁いているかもしれない。
そう考えたら、一気に心臓が圧縮される感覚に襲われた。
そんなおれに追い打ちをかけるように、虎次郎の携帯がまたしても音を張り上げる。
今度はどうやらメールらしい。
再びポケットから取り出された携帯を見ておれは気づいてしまった。
その受信を知らせるランプが、普段と違う赤色を放っていることに。
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