行ける所まで…

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同じ所をぐるぐる回る金魚を見ていると、生死の境が時々ぽっかりと穴を開く。 無抵抗になった直人を、祥子は夏祭りに連れ出した。 食卓のテーブルにちょこんと座る金魚鉢を、直人は椅子で両足を抱えながらじっと見ていた。 ダイニングにあるカーテンが虚ろに風に吹かれ、テレビは無機質な家具達へ語りかける。 金魚鉢に画面が反射されて、直人は画面と金魚を行ったり来たりしながら、血眼になって義父と義姉が家族になった日の事を思い出した。 始めはなんてことない照れ合いだった。直人は当然のように困惑を目尻で必死に隠していたが、たかが書面上の契約にうきうきの他人を見ていると、直人のこめかみははち切れそうになった。 未消化のままだった父の死から僅か一年。母が再婚するとは思わなかった。 裏切られたとは思わなかった。ただこれもまた未消化で済まされる事が、直人には我慢ならなかったのだ。 直人は立ち上がり家を出た。 紙を木っ端みじんにすることも、結露したガラスのコップをかち割ることも出来ず、赤く熱された目頭を止められなかった。 雑踏の路上で歩みを止め、直人は空を見上げた。通行人はこぎみよく直人を避けていく。 掠めていく人の視線が、眼球の奥をずきずき刺していく。 空が滲む。 こんな時に泣き出すのは間違っている。あいつらの前でこそ泣く価値があるというのに、誰も互いを認識しあわないこんな所で泣くのは無意味だ。 直人は泣き続ける事が恐くなって、目元を拭い道の脇に逃げようとする。 その時、少女が一人、直人の道筋に現れ通り過ぎていった。何の気なしに少女の背が視線を吸い付ける。 二人の視点が交錯した瞬間、彼女は笑った。 雲間からぼんやりと姿を見せる天の川のように。 織り姫が言の葉を紡ぐ。星星の輝きが連結し、彼女の笑顔が神々しくさえ見えた。 肝心の言葉は聞こえず、それでも直人は笑顔でいられた。 心の底から笑えたのは、あの時だけだった気がする。 あんな風に、自分を馬鹿馬鹿しく笑ったのは…。
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