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終戦記念日に無頓着なのは、団塊の世代の人達に申し訳ないが、未だ銃声の止まない自分の心の方が一番気にかかる。
夏休みも残り僅かになって、直人は文字通り山に積まれた課題を前に、着実にシャーペンを右から左へ滑走させていく。
煮詰まった頭では、ただ機械的にしか動かない。迷いのない筆遣いで課題が片付くのは楽でも、別に抱えた課題は一向に解決の糸口が見つからなかった。 またそんな苛々が募るものだから、シャー芯の減りも早くなっていく。
弘也の世話焼きのせいで、パソコンはずっと電源が入りっぱなしのまま、無意味に目の前で真っ黒な顔を見せつけている。 外の暗がりが直人の意識を、現実から少しずつずれ込ませようとする。
普段は夜の虫達が奏でる演奏も、今晩はなぜか休演で、音のない空間が直人の現在地を狂わす。
(助けて。)
心がそう言っていた。
おもむろにぺん立ての中からカッターナイフを取り出す。
(誰か…)
待っていたかのように、刃が伸びる。
何に怯えているのか、何から逃れたいのか、直人は訳もわからず刃先を手首の裏へ押し当てた。
痛みに怯えながらも、生きる事から逃れたい相互の葛藤の中で、直人の手首と刃先に紅黒いゼリーが零れた。
後ろで何かが落ちた。振り返ると、自傷の一部始終を見ていたのか祥子がわななく唇を両手で押さえ込んでいた。
極自然な反応なのに、相手が祥子というだけでとても不可思議に見えた。
「何…してるの?」
「何も。」
即答された祥子はクシャクシャになりそうな顔を堪えて直人に近付いた。
手首から血が課題のプリントに落ちる。滲んだ紅で空欄の文字が消された。
「直人…。」
「出てって。」
足が止まり、祥子は思わず俯いた。
天使のふりした悪魔。
人間は皆そうだ。 ただそれはいつも自分達の内深くに眠っていて、時々起き出すと良心とやらがまた子守唄を聞かせる。
毎日皆はそうやって毎日内面の悪魔を殺そうともせず、毎日戦う。
直人の脳内戦場では悪魔も天使も路頭に迷っている。悪魔が正しい事を、天使が悪い事を模索している。
血を流して笑い、痛みを感じて愉しんでいる。
殺戮に疲れ果て、敵をロックオンしきれなくなっているようだった。
あるいは、気付いたのかもしれない。
敵なんてどこにもいない事を。
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