あの人の手に触れる距離まで…

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倒れてから分かった事だが、姉もタンクトップに短パンという軽装だった。しかも肩からはみ出す筈のブラがなかった。 一通り観察を済ませると、焦りと困惑が直人の首筋から四肢に伝わる。 昨夜の夢の呪文が繰り返され、直人は目を閉じて額を祥子のそれに合わせる。 向き合う顔をそっとずらし、直人の唇が祥子の口角に触れた。更に位置をずらし、頬に口付け。 そのまま体を付着させると、祥子の胸が柔らかく潰れた。祥子の右足が外側から絡み、互いの脚は蔓のように繋がり合う。 隅々まで同化した二人は、お互いの記憶を分け合うように暫くそうしていた。 「おしまい。」 祥子の囁きで、上がりきっていた二人の体は冷静さを取り戻す。 「勃ってたでしょ?」 「そっちこそ。」 体が離れてその気になってしまった自分が恥ずかしくなる。 「何考えてたの?」 「思い出したんだ。」 直人はベッドから体を起こし、端に腰掛けた。 「先々週ぐらいかな。一緒に縁日行って、金魚取ったよね。」 「うん。」 「前にも同じ事があってさ。小学校低学年ぐらいだったかな?その時も取ってもらってたんだ。多分…」 そこから先は確信がなかった。 「前のお父さんに?」 直人は意気消沈するかのように上体を前屈みにする。 「記憶は断片的だし、その時どんな話をしたのかも思い出せないんだ。けど金魚の入った袋を持つ手は、確かに父さんのものだった。」 「それから金魚はどうしたの?」 「それから…。」 母が鉢を買ってくれた。そう、まだ駅前に区画整備が行われる前、しみったれた看板が肩を寄せ合っていた頃。 だから玄関の靴箱に未だに鉢があったのだ。 鉢に入れた金魚は夏に耐え切れず死んでしまった。 泣き咽びながら墓を作った日も暑かった。 差し伸ばされた父の手も分厚かった。 髪にのせられた手で、太陽光をしっかり浴びた髪の熱が頭皮を熱する。 滅多にない空気と感触が庭先から上空へ突き上げる。直人の心拍が上がり、心筋の過剰運動が足元を震わせる。大地の揺れと大気の身震いが篭り、何とか立ち上がろうとした直人は、自分の流した涙の軌跡を感じた。 何に泣いていたのか忘れてしまうほど、父のとった行動は神妙なものだった。 五十音の文字を辿ると、父の掌に一つの言葉があった。 『泣きなさい。』
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