あの人の手に触れる距離まで…

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「撤退します。」 弘也は明るみの戻った顔で、何っと驚く。 「残念、指令部からそのような命令は出ておりません。」 「それはおかしい。もう一度確認してみてくれ。」 「確認した結果、それは敵方の物と判明しました。」 睨み合う直人達に弘也はオロオロしだした。破談にだけはと体ごと由香里に向けると頭を下げだした。 「すいませんっ、うちのもんがとんだ失礼な事を。」 拳がギュッと作られる。 「あっしの方からきつく言っておきますんで、今のはなかったことに…」 弘也の口が動いているうちに、直人は立ち上がり教室を出ようとする。 「あっ、直人っ。」 「どこ行くの?」 「便所っ。」 「ごゆっくり~。」 由香里の冷やかしに教室を出る寸前に、 「くそったれっ」 と暴言が漏れる。脇にいた女子が目を丸くしていた。 仕方のない事だと頭で分かっていても、拳は屋上のフェンスを殴り散らしていた。 ここ最近の自分の変化と迷いなど連中にはお構いなしなのだ。しかし逆を言えばそれこそどうでもいいクラスメートの近況であり、結果こうなる。 とはいえ話せる気にもなれない。 嫌だとか、惨めとか、辛いとか、淋しいとか、悲しいとか、情けないとか、歯痒いとか、正直しんどいとか、そんなみみっちい感情はなかった。 ただ暴発する憤りが拳を先頭に体中に行き巡ってまた拳に戻っていく。撃ち鳴らすフェンスの熱が伝導し、上昇する体温は怒りのはけ口を求める。 獲物がフェンスなのも飽きた。 ふわりと背後からかかる圧力で体ごとフェンスにつんのめる。慌てて振り返るのも面倒になって、背筋を伸ばし切れそうになる理性の糸を補正してから背後を見た。 「何なんだよ、お前。」 「由香里様に決まってんでしょ。」 「ただの男まさりだろ。」 由香里は直人に側面を見せながら、謎めいた横目を向ける。 「今週の日曜、9時に駅前ね。」 「は?」 あからさまに機嫌を損ねてみる。が、由香里は泰然として唇を尖らせた。 「決まったものはしょうがない。」 「お前には気遣いっていう心がないな。」 俺は行かないぞと睨むが、夏のパスタ屋で既に体感済みのようで、由香里は直人の隣まで来るとフェンスに指をかける。 「あんたには許容がなさすぎる。」
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