夢と幻・時と現。

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誰もが笑う。 成らず者と。 誰もが囁く。 不貞な輩と。 誰もが頷く。 不肖の人と。 それでいいと思う。 慰めは不要だった。 慈しみとは無縁で。 優しさなんて屑だ。 そうやって意識ばかりして。 一体何を垣間見るのだろう。 この手に欲しい物。 この目に映す景色。 この頭に刻む明日。 それは今をただ漫然と生きる事ではなく。 愛情と憎悪。 温和と激情。 憐憫と嘲笑。 全部が全部。 この体内へ。 飲み込もう。 悪意へ繋がるサイクルも。 きっと善意の楽園に続く。 辛い辛いって言わないで。 顔を上げてみな。 誰がいる? あの日を境に、涼子は完全に姿を消した。直人と恭子以外は誰も知らない。 直人は母に全てを話せる気になった。昔の自分が後ろにいる。彼が背中を押しているような気がしたのだ。 「…でもさ。」 と滲んで霞む昔を話し終え、直人は金魚のいない金魚鉢を指先で打つ。 「俺、誰も悪くないと思う。俺達は皆、そうやって人を傷つける。」 ハラリと金魚の尾びれが見えた。 「傷つけて、のたうちまわって、もんどりうって、そんで耐え抜いた時には、目の前に誰かがいる。」 金魚は優雅に踊る。 「だから今と昔に後悔はないよ。」 「そう。」 母は切なげに言った。直人は笑う。 「生きたいなら、そうするしかないんだ。どのみちいつかは気付く。」 「あなたには…」 母は斜向かいに座る直人の手を取る。金魚は尾鰭をそっと残して消えた。 「あなたには苦労をかけたわね。」 「この先も、ね?」 見合わせて笑う。 それだけで充分だった。 父親の事で、これ以上思い巡らすのはやめた。 酒癖が悪く、無愛想で、その上変なタイミングで優しい。 それだけでもう沢山。 もしかしたら、別に内縁の家庭を持っていたのかもしれない。いやきっと持ってる。 でも今の直人には真相を突き止める気はなかった。 真実と事実は違う。 事実は全てを露呈し人の視点を一点に集める。 でも真実は日毎に変わり続ける。 見る角度。触れる位置。過ぎる感情。 数多ある作用によって、真実はその人、その人の色に染め上がる。 真実は辞書通りの意味を現実に示してはくれない。 真実はいつも一つ、なんて決め台詞はすぐに変えた方がいい。 事実はいつも一つ、と。
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