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それが一種の差別化ではなく、あくまでも愛称であることを理解している姉は大人だと直人は思う。
「あー、もうっ。」
祥子は苛立ってタオルをしゅるりと手にした。
「だから、祥子さんはやめてよ。」
直人はほそやかな指先でマウスをクリックする。
「ちょっと、いい加減知らんふりするのやめてよ。言ってるでしよ、そういう他人行儀な…。」
「おっ、今週の湘南晴れだって、祥子さん。」
祥子はタオルで直人の頭を叩くと、部屋を足早に出ていった。
頭部を覆う生乾きのタオルからは、祥子しか使っていないシャンプーの匂いがした。
元々父は酒癖が悪かった。それでも普通の会社員ではあったし、両親と一人息子の三人暮しに不都合はなかった。
事件は、直人が中一の時に起こった。
いつも帰ってくる時間をとっくに過ぎた夜十一時、二階の自室で漫画を読み耽っていた直人にも電話の呼出し音が聞こえた。
母の細切れな、はい、はいという声まではっきり聞き取れる。
通話を切り、足音を忍ばせるように階段を上がってきた母は、直人に支度をしろと言い部屋を出ていった。
その時、直人は妙に頭が冴えていく気がした。呼び鈴から始まった不穏な空気を感じ、そして車の中で、母があえて弱気に強気をぶつけていく苦渋な表情を見せる理由も、直人には分かる気がした。
霊安室。言葉の意味くらい、直人も知っている。
刑事が現れ、事件の概要が明らかになるまで、父の脳天に刻まれた小さな穴がじっとこちらを見ているような恐怖感が、直人の体を縛り上げる。
酒乱の際に起きたいさかいが原因だった。その相手の暴力団組員が所持していた自動小銃の引き金が引かれた。
それだけだった。
脳天に一発、苦しまずの死だったらしい。
記憶はそこで途切れている。
アルコールの匂いがすると、直人は無意識に、父の薄ら笑いを思い出す。
父の死に、無念はわかなかった。どんな偶然も、終わりがあれば全て必然になる。 直人は自分を冷めた人間とは思わないし、父を大層嫌っていたわけでもなかった。 ただ感情が時間に追い付かなかっただけで、それは今でも届かない。
母の翌年の再婚と、赤の他人が瞬時に近親者に成った事は、直人に有りのままを受け止めるよう強いたが、結果、心の不釣り合いは残されたままだ。
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