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昔……昔といっても幅はあるが、まだ、この国が出来たばかりの頃…神々が人々と暮らしていた頃の事である。伊邪那岐の命で、高天ヶ原を治めていた天照はある日、地上にいる食物の神様、保食(ウケモチ)の噂を聞いて、弟の月読に見てくるように命じた。
そこで、月読は地上に降り保食に逢った。喜んだ保食は月読をもてなすために、陸を向いて米を吐き、海を向いて魚を吐き、山を向いて獣を吐き、それらで食事を出した。月読はそれを見て、
「口で吐いたものを食べさせるなど、穢らわしい真似を」
と怒って、斬ってしまった。月読は帰って、天照にそう報告すると
「貴方はとんでも無い神です。貴方とは金輪際、顔を逢わせたくありません」
と激怒した。それで月と太陽が別々に出るようになったと言われている。
後日、天照の使者が保食を見に行くと、その屍からは、米や粟や蚕や麦や大豆などが出来ていて、使者は天照に持ち帰った。すると彼女は
「民が生きるために必要な物が手に入った」
と、とても喜んだ。
ここまでは記紀にも載っている有名な話である。だが、その話にはある地域限定で続きがある。天照が保食ばかり持ち上げるのが気に食わなかった月読は保食のいた土地と人を呪った。満月の度に人々の姿形、心…全てを醜く歪めて、月鬼に変えてしまう呪いをかけたのだ。月鬼と人々は争い、豊かだった土地は荒廃し、豪族達の力も衰えた。月読を奉れども、治まらない呪いに対抗しようと、呪術に強い者達は鬼に挑んでいった。やがて、禊の一族がやっとの事で、対抗する術を見付けた。それは、『呪い』を呪う事だった。月を崇め、恐れ、呪う事で漸く、殺す事無く月鬼を人に戻す事だけが出来るようになったのだった。今もまだ現れ続ける月鬼の呪いを解くために、禊の血を継ぐ者は解呪師として、月鬼と戦っている……そんなような事が、この古豊の風土記には書かれていた。
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