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研究所の中では電子機器や医薬品など様々な研究が一気に行われ、今となっては一般的な風邪薬や液晶端末などが開発された。
しかし、研究所建設から約五年後。大戦前16年。
周辺施設での爆発火災がきっかけで、緑ヶ谷研究所は一晩にして姿を消してしまう。
爆発の規模が大きかったのが原因と言われているが、最初の爆発から一時間程で駆け付けた消防隊員達は、既に施設と呼ばれる建物を確認する事は出来ない状況になっていた。
爆発事故から数時間後、日本政府から発表があった。
以下は当時の紙面に掲載された文面をそのまま使用している。
5月11日23時37分。
国立緑ヶ谷研究所及び周辺施設爆発事故。
死者、行方不明者1217名。(爆発の影響で遺体が確認出来ない為。)
研究所を中心に半径10kmに被害が及んだが、幸い一般住宅、民家等は無し。
事故原因は不明。爆発範囲が研究所全体を含んだ理由も不明。
そして、更に一週間後、政府から発表された内容は全世界を混乱へと招くものとなる。
緑ヶ谷研究所で研究、開発が行われた物質。
〔Alby(アルビィ)〕
今、世界を白に染めているこの物質が世間に知られた瞬間でもあった。
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