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椎名のいるテラスからは、城の庭園の一部が見える。
燦々と降り注ぐ太陽の光を浴び、庭園は光に満ち満ちていた。
椎名は目を細める。
天鵞絨の絨毯のように、庭園一面に咲き誇った真っ赤な薔薇の花の中に、人影があった。
「……誰かしら?」
椎名は視力はいいが、流石に数百メートル離れていたら、人影の顔は見分けがつかない。
庭師ならば、ああぼんやり佇んでなどいないだろうし、貴族や家臣なら、この時間帯に共も付けずに出歩かないだろうし。
椎名は首を捻った。
「どうなされました?」
「庭園に人がいるんですよ」
「庭園にですか?」
リアンナは訝しげな顔をした。
椎名は知らないが、庭園には庭師と限られた人しか立ち入らないのだ。
茶器を片付けていたリアンナが、テラスから庭園を見渡す。眉を寄せた。
「誰もいらっしゃられません。あの庭園は限られた方々しか入られませんし」
限られた方々とは、城でも重役を勤める者たちだろうと、椎名は考えた。
「そうなんですか? でも……」
リアンナの言うとおり、人影は消えていた。
美しい薔薇の花があるだけ。
見間違いだったのだろうか。
椎名は、しばし庭園とにらめっこしていたが、リアンナに呼び戻され、午後の作法の準備を始めた。
●●●●
「いたたた……」
過酷な作法の修練を終えて、部屋を出た途端、椎名は呻いた。
ずきずき痛む足に、歩き方がぎこちなくなる。肉刺が潰れたか、靴擦れか。未だに踵の高い靴は慣れない。
マーサに見抜かれたらしく、作法の練習は早めに切り上げられたのだ。
足を締め付ける靴を脱ぎたくなる。
作法の練習中は、柔らかい靴を履くのだが、今日は式などを想定し、履きにくい装飾過多な靴を履いて練習した。
よたよたと、真っ直ぐ自分の部屋に、帰ろうとした椎名だったが思いとどまる。
二つに別れた廊下。
足は痛いが、何となく自分の部屋にそのまま帰るのは勿体ない気がした。と言うより、違う課題が待ち受けている。
サボるのは気が咎めるが、少し休憩していく分には構わないだろう。
「少しだけ」
誰にともなく呟いた。
たまには、勉学以外を理由に外に出てみるのもいいかもしれない。
椎名の足は、庭園へと向いた。
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