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薔薇の芳醇な香りがする。
生きてきて、これまでの薔薇の数に囲まれるなんて滅多にない体験だろう。
「ふう」
今まで人の目があって、人目を避けてきたが、外の空気を吸うと、気分が晴れやかになる。
椎名は人目も気にせず、両腕を天に伸ばし、伸びをすると足を進めた。
迷路のように入り組んでいるので、そう奥まではいかない。軽い散歩のつもりで入り口の辺りを散策していた。
あ、と声を漏らしそうになった。
(……イサナ陛下?)
イオとよく似た姿形だが、幾分年を重ねた男がいた。
一カ月会っていないが、顔を忘れるほど薄情ではない。むしろ、忘れようと思っても忘れられないかもしれない。
太陽の光を織り交ぜ、きらめく金色の髪は長く背中に届き。イオのよりも切れ長い翡翠の瞳に、シャープな顎。青くさえ感じられる白く透き通った肌。
美しくとも、肩幅は広く背は高い。性別を見間違えることはないだろう。
老若男女問わず、一時見惚れてしまうだろう美しさを兼ね備えて尚かつ、王族であり、大国を治める国王。
ひと睨みされれば、誰もが跪きたくなる王の風格さえ、彼は手にしている。
その完全無欠な陛下が、薔薇に囲まれて、ぼうっと突っ立ている。
椎名は意外なものを見てしまったという気持ちになる。
(声をかけないほうがいいかしら)
プライベートに顔を突っ込むのは、いただけない。
回れ右をするかと思った矢先、椎名は目を見開いた。
「陛下っ!?」
ぼうっと突っ立ていた長身が、突然前方にかしがいたのだ。
薔薇ーー棘を纏うその花に、イサナの体が吸い込まれていくのを、椎名は寸前で止めた。
イサナの腰にしがみつき、全体重を後ろにかけ、イサナもろとも尻餅をつく。
「っく」
大の男の体重がかかり、息が詰まったのも束の間、椎名はイサナの白い頬を叩いた。
閉じられた瞼に、心臓がはやる。
「だーー」
焦って助けを呼ぼうとした椎名の口を、伸びてきた手が塞いだ。
椎名は、支えている男の顔を見た。
「騒ぐな」
倒れておいて騒ぐなはないだろう。
椎名は思いの外焦っている自分を宥め、開いた瞼の先にある瞳を覗き込む。
焦点は椎名の顔、意識もはっきりしているようだ。
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