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薬草の匂いが鼻をつく。医務室内は清潔に保たれているが、治療器具や本が雑然と積み重ねられ、手狭である。
ぐにゃりと歪むそれらをぼんやり眺めていた椎名だったが、悲鳴を呑む。
「し……沁みますねー」
血止めの薬草の汁を大量に傷口に浴びせられ、泡沫を漂っていた意識が、一気に引き戻された。
「我慢しろ」
口では尊大だが、イサナは椅子に腰掛けた椎名の隣で、自分がやられたかのように、目を逸らしている。
運んでくれたのにも驚いたが、付き添ってくれるとは、椎名は内心驚愕だ。
「ほほう。同じ薬草で泣いていた陛下のお言葉とは思えませんな」
椎名の手当てをしている、老医がおかしげに笑った。
笑うと長い顎髭がもっさり揺れた。白雪姫に出てくる七人の小人に似ている。
背丈も椎名の胸辺りまでしかない。
「いつの話だそれはっ! 私がまだ物心つく前の話だろっ!!」
眉を怒らせ、抗議するイサナに、椎名は悪いとは思いながらも笑みを零す。
「陛下にも苦手なことがあるんですね」
「なに。薬と人参。二つだけですな、陛下」
「シグ、おまえは黙れっ!!」
「あら。人参もですか」
思いがけぬ告白に、見た目によらず可愛らしいなどと思えば、イサナに睨み付けられた。
威圧感のある翡翠の瞳も、今は可愛らしいの一言である。
余りイサナの機嫌を損ねるのも怖いので、笑いをおさめて、老医の治療を受ける。
白髪の老医は、六十を過ぎているだろうが、手元に淀みはない。
「派手に出血したようじゃな。ちと縫うかの。お若い娘さんに痕を残すのは、わしも気が進まんのじゃがな」
縫うなら痛いかと心配していた、椎名は予想外の老医の言葉に目を瞬いた。
お若い娘さんと評されるには、椎名は年を重ねている。外見上は若く、幼く見えてしまうかもしれないが。
慣れているので、椎名はいつも通り自分の本当の年齢を告げようとし、
「娘でない」
イサナが否定した。
「私の妻だ」
椎名は目を瞬いた。
針や糸を戸棚から取り出していた老医が、ぽんと手を打った。
「おお。そうじゃったか、では百七番目の……」
「そんなに娶っていない」
イサナは心外だとばかり訂正する。
七十二人は十分多いとかそういう問題でなくて。
椎名は感慨深げに呟いた。
「私のこと覚えてらっしゃったんですね」
イサナと老医が同時に椎名を見た。
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