薄い壁のこの部屋で

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この部屋の壁は薄くて また今日も右隣りから 泣き声が聞こえてきた 叫ぶような耳に残る声 左隣りからはたまに人の話し声が聞こえる 男なのか 女なのか 若いのか そうじゃないのか ずっとここにいるのに、どちらも顔も見たことない ある意味で同居人ってことになるんだろうけど 右さんと、左さん 先月やってきた右さんは 夜中に突然泣き叫んで、 見事に安眠を妨害してくれた ……軽く凹むくらいに、壁に回し蹴りくらわしてやったけど 18になった今も あたしのモットーは喧嘩上等だ 売られた喧嘩は絶対に買う …売られてなかったような気もするけど 自分で言うのもなんだけど 回し蹴りなんてまだマシだ 最高に機嫌が悪かった時には…ベッドを壊した …あれはやり過ぎたと反省してる (少しは) 『…4番でお待ちの方、窓口まで……』 本当にここは壁が薄い 切り離されたように 遠く離れたこの場所まで 館内放送が聞こえてくる あたしは慣れた手つきで、布団の中から本を引っ張り出し開いた -コンコン 絶妙なタイミングで ドアを叩く音がして「いいよ」と、すぐに返事を返す 部屋に入る前にノックをするような 育ちの良い知り合いは、ほとんどいない 窓口で断られてしまうような 育ちの悪い知り合いも あたしが一度追い返して以来、来ていない 拓斗と美和子以外にここへ来るのは 医者か 看護婦か この男か 細いフレームの眼鏡 細くて背の高い体 キッチリと濃いグレーのスーツを着て 今日も全く隙がない 1人になって5分もたたない内にやってきた …この男にはセンサーでもついてるのか 「こんにちは」 隙のない笑顔で笑う 腹の中で何を考えているか分からない男 でも 低い柔らかいこの声を聞くと 落ち着くんだ すごく すごく
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