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「そりゃあそうね。それで、本格的にピアノをお始めになったのは・・・」
「ええ。物心がついた時からピアノは私のおもちゃでした。
最初は父が面白がって教えてくれたんですが、五才になると近所に住んでいた音大出の先生に見てもらうことになったんです」
「お父様も自分では駄目だと・・」
「そう。自分の果たせなかった夢を私に託したかったんだと思います。だから変な癖がついても困るでしょう」
「変な癖ねぇ」
変な癖、という言葉に色んなことを想像したのか二人は又声を立てて笑った。
鮎川真理子は手元の資料を眺めながら話を進める。
母親は響子が十五才のとき、原爆の影響で白血病が発症して亡くなり、二年後には父親も癌で亡くなったらしい。
両親を失った彼女は、神戸で貿易商を営んでいた叔父に引き取られてピアノを続けることになったのである。
「昭和五十二年に武蔵野学園の音楽大学を受験されたんですね」
「ええ。準備のために一年浪人して藤原先生の個人レッスンを受けました」
藤原弦一郎はその大学のピアノ科教授であった。年に何回かはリサイタルを開いていたので私も何度か聴いたことがあった。
「受験のために上京した日、私にとって忘れられない『一期一会』がありましたの」
響子は当時のことを回想するかのようにしばらく目を閉じた。
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