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「あれは新幹線の中でした。私がE席に座っていると隣のD席に父と同じような年恰好の方が乗っていらっしゃって、私の顔を見るとにっこり笑って会釈されたんです。
私も思わず会釈を返しながらほっとしました。
だって新大阪から東京まで三時間ですよ。変な人が隣にいたらいやでしょう。
その方は目を瞑って何かのメロディーをハミングしていらっしゃるんです。
私の知らない曲でした。
何度も繰り返して歌われるんですが、それが試すように少しづつ変わるんです。私は鞄から五線紙のノートを取り出してそのメロディーを書き取っていました。
音大の試験科目に聴音というのがあるんです。試験官の弾くピアノの和音やメロディーを聴いて、それを五線譜に書くんですが、その練習のつもりでした。
(この方はどんなお仕事をしておられるのかしら。ひょっとして音楽関係のお仕事かも)
私は思い切って話しかけてみたんです。
『それ、何のメロディーなんですか?』
『ああこれ?自作の詩に曲をつけようと思ってね』
『もしかして作曲家の先生?』
私が訊ねるとその方は大笑いしました。
『まさか。音楽は僕の趣味ですよ』
『趣味で作曲をされるんですか?』
『作曲なんてもんじゃないけど、歌のメロディーくらいなら作れると思ってね。君も音楽好き?』
『はい。これから武蔵野学園の試験を受けに行くんです。それで今のメロディーで聴音の練習をしていました』
そういって今聴いて書いた五線譜をお見せしたんです。するとその方も自作の詩を見せて下さいました」
彼女は手帳を開いてその詩を朗読した。
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