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その竜は、夜闇を切り出して鍛え上げたような漆黒の鱗で、全身を鎧っていた。頭上から降り注ぐ陽光は、竜をまるで影そのものであるかのように浮かび上がらせていた。
そして、これが最も重要なのだが、竜は左の前肢に赤子を抱いていた。
当たりだ。
「待ちわびたぞ。竜殺し。真なる人」
「貴様と利く口など持たん。その赤子、返して貰おう!」
言うが早いか、俺は剣を抜き、駆け出した。彼我の距離は約十二歩。迎撃がくる。
竜が息を吸った。俺は斜め前に飛び出した。直後、黒い奔流が俺を掠めていった。ブレスだ。
一瞬焦点を外した隙に、竜の爪が目の前に迫っていた。受けるには態勢が悪い。かわせば大きく姿勢を崩し、次の一撃に対処出来ないだろう。
俺は竜の手に剣を叩き付け、その反動で難を逃れた。
そして、思わず俺は動きを止めてしまった。俺は剣を叩き付けた時、竜の手を骨まで切り裂いたつもりだったのだが、竜の手には僅かばかりの裂傷があるだけだったのだ。
「流石は竜殺し。我が身体に傷を付けるか」
俺は剣を構え直した。この分では、俺の技と剣をもってしても、大したダメージは与えられないだろう。策が要る。
「速きこと、利きこと、強きこと、やはり其処らの兵どもとは雲泥の差」
「それがどうした、悪辣な竜め! とっととその赤子を置いて去るがいい!」
再び、叫んだ。この竜は今までとは違う。間違いなく、より上位にある竜だ。気圧されれば、死ぬしかない。
ところが、不意に、竜は吼えるような笑い声を上げた。
「悪くない提案だ、竜殺し。貴様の身、いずれは八つ裂きにせねば同胞達に報いられぬが、今はまだその命、奪わずとも良いのかも知れぬ」
言うと、竜は赤子をこちらに放り投げてきた。
何ということだ。剣を手放すのは危険過ぎるが、ここで赤子を傷付けては、あの強欲な王に何を言われるか知れたものではない。
背に腹は代えられぬ。やむ無く、俺は剣を捨てて赤子を受け止めた。
「真なる人よ。その赤子はヒトにしてヒトに在らざる忌み子。ヒトの身にして、我らが祖、母竜ティアマトの血と力を継ぐ者。ヒトの内にあっては混沌と破壊の権化としてのみ生きれぬ者」
「ふざけたことを! 竜との混血など、有り得ぬ!」
そんなものは時の王が作り出した戯言に過ぎない。神話、伝説、伝承の類いとしてこそあらねど、事実、真実としてなどあろうものか。
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