《葡萄の下の平穏》

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店の奥にある狭いが整理された水屋の中、七森がクッキーの箱を開く横で、水緒は丁寧に紅茶の葉を量り、ティーポットにお湯を注ぎ始めた。 「どう?先生とは、上手くやってる?」 「ゔっ!」 七森の不意打ちに手元が狂い、流れるお湯が、ティーポットからはみ出した。 スタッフと客との恋愛をタブーとする美容室は少なくない。 中には、バレた途端クビになる店だってある。 Vitisはそれほど厳しくはなかったが、水緒は、駿介との関係をまだ誰にも話してはいなかった。 ただ一人、まるで実の姉妹のように世話を焼いてくれる七森を除いて。 「わっ!たっ、たっ。たおる~。」 「水緒ちゃん、動揺しすぎ。」 七森が笑いながら布巾を手渡す。 水緒も照れ笑いしながら受け取った。 「その顔なら上手くいってそうね。」 「ええ。まぁ・・・。 なかなか時間が合わなくって、デートもままなりませんけどねぇ。」 「なんのなんの、障害が多いほど燃えるってもんでしょう。良い事良い事。 心理学でいうロミオとジュリエット効果っていうやつだわね。」 「美香さん心理学なんか勉強してるんですか?」 「去年、雑誌の心理学占いコーナーで見たの。」 尊敬の眼差しを送る水緒に、七森はクッキーを一枚摘みながら、あははと笑う。 「ああ・・・。」 水緒は得心がいったという顔をした。 「でぇ?二人てば何て呼び合ってんのぉ?」 「ふっ・・・普通に名前で。」 「ん~、そっか~。水緒って名前素敵だもんね~。 水緒の《緒》って紐とか糸って意味でしょ? なんかさ、《縁》とか《赤い糸》みたいなイメージ有るよねぇ。水の糸。決して絡まることの無い二人を結ぶ糸!みたいな・・・。」 七森は頬を桜色に染め、本当に嬉しそうに顔をほころばせている。 彼女はいつも、他人の幸せを我が事以上に喜ぶのだ。 だからこそ、水緒も姉のように信頼し、慕っている。
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